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  宗谷岬周辺 ※ 宗谷歴史公園    
   宗谷岬周辺
日本最北端の地の碑
 北緯45度31分22秒、宗谷岬の突端に位置している。碑は、北国のシンボル北極星の一稜を象った三角錐をデザインしたもので、塔の中央にあるNの文字は”北”を、台座の円形は”平和”と”協調”を表している。
平成23年(2011)、建立50周年を記念し碑版に英語表示が加えられた。  
 
間宮林蔵の立像
 安永9年(1780)現在の茨城県つくばみらい市(旧伊奈町)で誕生した。林蔵が樺太へ渡る決意を秘め、はるか海の彼方を見つめる姿で、裁付袴に羽織、足袋、二本差しと肩には測量用の”
縄策(じょうさく)”という道具を掛けている。
 日本人でただ一人世界地図に名を残した人物である。
宗谷岬「音楽碑」
 ダ・カーポ、ボニージャックス、千葉紘子、芹洋子さんなどの歌手によりレコード化され、NHKのみんなの歌でも全国に紹介された郷土の歌”宗谷岬”の音楽碑である。
碑は、黒御影石に”宗谷岬の歌詞と楽譜を刻んだもので、昭和55年(1980)11月に建立された。 
旧海軍望楼
 帝政ロシアとの国交が悪化し始めた明治35年(1902)に、国境の備えとして旧帝国海軍が建設したもの。 石材を積み上げて、コンクリートで固めた2階建ての監視所で、船のブリッジを模して造られている。 1階は見張り室と待機室があり、2階指揮室の小窓からは宗谷海峡を一望出来る様になっている。 


あけぼの像
 北海道の牛乳生産量100万トン突破と飼育乳牛50万頭突破を記念して、昭和46年(1971)7月に宗谷岬の丘陵上に建設された。
 ”天北酪農の夜明け”を象徴したもので、製作者は峯孝です。 
宮沢賢治文学碑
 
「はだれに暗く緑する
       宗谷岬のただずみと
    北はまさおにうち睡る
       サガレン島の東尾や」
 大正12年(1923)8月、宮沢賢治が稚内港より連絡船で大泊に至る間に詠んだものと言われている。

 
祈りの塔
 昭和58年(1983)9月1日、ニューヨーク発アンカレッジ経由ソウル金浦空港行大韓航空機は、予定の飛行コースを大幅に逸れ、サハリン上空を侵犯。ソ連のスホイ型戦闘機のミサイル攻撃を受け、モネロン島沖合に墜落した。 同機に乗っていた乗客240名と乗員29名の合計269名全員が死亡した。 

世界平和の鐘
 ニューヨークにある国連本部の前庭に、世界の恒久平和を願うシンボル”平和の鐘”があり、この鐘と同じものを世界中に設置しその思想を広めようとする運動で、その第1号が宗谷岬平和公園に建てられた。



間宮林蔵渡樺出航の地の碑
 文化5年(1808)4月13日、幕府から樺太探検の命を受けた間宮林蔵は、松前奉行支配調役・松田伝十郎と共に、第1次樺太探検に出発した。この時、林蔵は生きて再び日本の土は踏めないと覚悟し、花崗岩で出来た墓碑を海岸に建てた
子育て平和の鐘
 鐘は、市民の総意により展開された10円玉募金で寄せられた浄財およそ150万円と世界98ケ国から寄せられたコインやメダルにより昭和63年(1988)に建立された。家庭の平和や地域の平和、国の平和、世界の平和を願うと共に、未来の平和な国際社会に羽ばたく子供達の健やかな成長を願って建てられた。 
宗谷三百年記念之碑 
 稚内の由来は、アイヌ語のヤム・ワッカ・ナイ、「冷たい水の流れる沢」という意味である。
宗谷の由来は、アイヌ語の「シヨウヤ」(海獣の止まる磯の丘)この磯の丘にアイヌコタンがあったことから地名にした。他にも、宗谷岬の北にある弁天島は「ソーヤシュマ」(岩礁の海岸にある島)と呼ばれていた。また、「ソ(ショ)・ヤ」(岩礁の多い海岸)と呼び、これらが「ソーヤ」の由来とされている。現在の宗谷は「ウエン・トマリ」(悪い・入り江)というところで、うっかり舟を入れると岩礁で舟を壊すところだった。  
 
  ※ 宗谷歴史公園      
宗谷厳島神社 
 天明2年(1782)奉納と記載された「鰐口」が存在する事から、天明元年に建立されたと考えられる。祭神は市杵島姫命と言う、水の女神。室町時代の永正12年(1515)松前藩の祖先武田光広が「夢」のお告げを信じ、蝦夷地海浜の要衝に「弁財天」を祭る様に命じた事からその子孫である柿崎慶広が宗谷の地にも「弁財天堂を寄進したのが始まりとされている。 
宗谷護国寺跡 
 元禄以来、徳川幕府は新しい寺院の建立を禁じたが、享和2年(1802)蝦夷地に3つだけ寺を建立する事を許可した。
宗谷=護国寺
余市=宝隆寺
石狩=法性寺
旧藩士の墓
 旧藩士の墓は13基あり、犠牲になった会津藩士3名を始め、警備にあった秋田藩士や幕府関係者らが葬られている。安政3年(1856)梨本弥五郎に従って初めて積丹半島を越えて来た女性や宗谷で生まれた武士の子らの墓も含まれている。 
岡崎古艸

   
「たんぽぽや
        会津藩士の
       墓はここ」

 と刻まれている。 
津軽藩兵詰合の記念碑 
 コーヒーを飲む事が出来ずに亡くなった藩士たちを悼み、その後、薬としてコーヒーを大切に飲んだであろう先人達に思いを馳せ津軽藩士の故郷である弘前市の有志が中心となり、平成4年(1992)9月に除幕された。
  宗谷護国寺 
 北方警備の為この地に秋田の藩士達が駐屯する事になった安政3年(1856)、蝦夷地に先に建立されていた有珠善光寺の住職が、宗谷場所の協力を得て建立した幕府直轄の浄土宗のお寺。
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